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"大衆演劇が在る状態"が好きなので

「軽い気持ちで求められるもの」であってほしい ー 「ボン書店」の話から

新潮社「考える人」のメールマガジン第697号(2016.11.10発行)の「ボン書店」のお話が素晴らしくて、普段、大衆演劇を見ている時に感じ入ることと重なることがあり、少し書きおきたいと思います。

全文は以下のリンク先で読むことができますのでぜひぜひ:

kangaeruhito.jp

 

ボン書店とは、本屋さんではなく、1人の青年が、当時の詩集を出版をする際に掲げた屋号を指すようです。

<昭和八年頃だったか、鳥羽茂という詩の好きな青年が現われて、ボン書店という名で小さな詩集の出版を始めた。書店というとたれもが店を連想するが、彼の場合は単なる象徴にすぎなかった。彼は詩集を出版する目的でどこかの小さい印刷屋に入ってその二階に住み、昼間は印刷を手伝いながら、夜や日曜日にコツコツと自分で活字を拾って、そのころ最も新しい詩を書いていた詩人たちの詩集を出版した。>

いずれもその詩にふさわしい装丁を吟味して作られたものだったと。

丹精込めた1冊1冊を、30銭そこそこの値段で売りました。部数は200部内外といった少部数です。

刊行人は、読者への通信にこんな言葉を残しています。

<ボン書店は、営業を第一目的とする一般図書出版書肆と異り、よい本を、出来る限り立派な装丁で作り、煙草を買ふやうな、軽い気持ちで求められる廉価で頒ちたい、と考へてゐます。だから定価が実費であつたり、ときには実費以下であつたりしますが、このことは私自身が、一個のアマチュアであることを承知下さるならご諒解願へるだらうと存じます>...

 

20歳という若さで、決して楽ではなかっただろう生活を切り詰めて、理想の本作りを目指し、その出来上がった本が、タバコを買うような軽い気持ちで手にできるものであってほしいと考えた鳥羽青年。

このボン書店の本の価格と、大衆演劇の木戸銭を、重ねて思わずにおれませんでした。

いつも大衆演劇の劇場で感じるのは「こんな熱の籠った舞台をこの値段で、この人数で見せてもらってよいのか」ということ。

わたしが普段行く大衆演劇の劇場の木戸銭は1000円代。平日の夜の部であれば10人にも満たない日もあります。それでも幕が開いて、生のお芝居と、めくるめく歌と舞踊のステージを見せてもらえます。

庶民が毎日見ることを想定しての価格設定。それが、テレビの普及で映像入手に事欠かない時代になり、毎日見に来る人も減った今、生の舞台でこの金額ではやっていけない。それでも、単に値上げすればいいと言い切れない理由が、ここにあると思いました。
 

ーー出来る限り立派な装丁で作り、煙草を買ふやうな、軽い気持ちで求められる廉価で頒ちたいーー

続けるには一定お金は要る。絶対要る。

それでも。それでも、どこまでも「軽い気持ちで求められるもの」であってほしい。そうでなければならないと思う。

こんな矛盾を言うて何になると思いながらも、言わずにはおれない。

よいものであればあるほどに、贅沢枠ではなく、普段の生活の潤いとして、届けられるものであってほしい。

解決の見当もつかないですが、、、わたしがおぼろげに思っているのは「お客さん2割増し論」です。1割でもいい。まずは。

それを実現させるために、ささやかながらも価値を叫び続けること。貨幣経済の便宜上つけられた価格の価値基準に、とことん抗う。それが、大衆演劇の舞台を見届けたいと願う時、出来ることの1つだと思っています。

小さいけど、大事な抵抗です。

誰に知られずとも、ボン書店の本の価値が、時代を超えて揺るぎないように。

世間にとっての有名無名関係ない、わたしら一人一人の"スター"をこそ。

 

 

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