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chomoku

"大衆演劇が在る状態"が好きなので

「心に残ってしまったお芝居」のこと その1

「いいお芝居」が観たい。

大衆演劇のお芝居を見るとき、そういう期待を持って行くのですが、「今日はちょっと合わなかったかな」と思う日も、あります。

インターネットでお芝居の情報を調べたり、自分の理解度を上げるために勉強もして(もうこのことに関しては全力で情熱を注いでいるので^^;)、大衆演劇を見始めの、何にもなかった頃から、どんどん楽しく見られるようになったと思います。 

その普段何気に言うてる「いいお芝居」とは、どんなお芝居のことを指すのかと問われたら、、、ごく一般論で、ふわっとは答えられる。でも突き詰めて考えれば、あれ?うーん??となって、明確に言えないことに気づきます。難しい。わかってないやんわたし。。。

 

そこで、「心に残ってしまったお芝居」というのが、大衆演劇の場合、めちゃちゃ強烈にあるなあと気づきました。

ちゃんとした、上手いお芝居ではないかもしれない。でも、心に残って忘れられないお芝居。そんな魔法みたいなことが、大衆演劇では起こる。毎日幕が開き、毎日違うお外題がかけられる大衆演劇ででしか、見られないだろうと思う。。。

 

 「三人出世」

2015年7月に見たお芝居。この日座長が別の劇場で催される座長大会出演のため不在で、座員の方だけで演じられました。決して"上手い"ものではなかったと思います。でも、わたしはこのお芝居が忘れられない。

「三人出世」は大衆演劇の定番の人情劇。幼馴染の3人の若者が村から江戸へ旅立つ。3年経ってお互い出世して再会しようと誓い、それぞれの道へ。

3人の中で一番"アホ"と言われていた「友やん」は、出会った相手が優しいお役人で、引き立ててもらい、頑張って十手持ちの役人の端くれに。

3人の中で一番出世欲の強かった「島やん」は、丁稚奉公から頑張って稼いで、お金持ちの家主に。

3人の中でみんなの兄貴分のような存在だった「定やん」は、出会ったのが盗人の親方だったため、盗人になってしまっていた。

お芝居は、終始ドタバタした感じで進んでいくのですが、その様子が、田舎から都会に出て奮闘する若者の姿そのものに思えました。変な言い方ですが、演技に嘘がない。誠実さの塊のように感じられました。

最終場。3人の中で自分が一番出世したと思っている島やんが、盗人の定やんを見下すのを、友やんが怒って言います。「むかし定やんに助けてもらったのを忘れたのか」と。その言葉にハッとなった島やん、いきなり突っ伏して、雪に濡れた定やんの草履を、必死で温めるのです。

十代の役者さんで、経験も浅く、たどたどしい演技。けど、清らかだった。ほんまに必死で必死で草履を拭って、はーっと息を吹きかけ温めるさまに、わたしは泣いてしまいました。

唐突な感じも、よかった。一瞬で「心が解けた」のです。同じ故郷の空気を吸った人間なら通じる。そういうものがなかったら、今でも都心で県人会が存在するかの、説明がつかない。お酒を飲んて「生まれはどこだい」と尋ね、同郷だとわかった途端に肩を抱き合ったりしない。

 

「履物を拭う」は、劇中よくなされる行為で、いろいろな意味が込められているように思います。

履物の主に対して、何かしたいのに思いつかない時、もうこれくらいしかしてやれることがないという時、自分の方が上だと思っていた人間が、そのプライドをかなぐり捨てて詫びる時。

一言も発さず、定やんの草履を拭い続ける島やん。

島やんは島やんで、孤独で、悔しい思いをいっぱいして、ここまで来たのだろう。。。そんなことを想像させられもしました。

 

そのあと、同じお外題をいくつかの劇団さんで見ました。よかったと思います。演技では上回っていたと思う。お客さんもみんなよかったって言うてた。よかったと思う。でも、、この時の「三人出世」ほど、鮮烈には思い出せないのです。

 

最近見た中で強烈に残ってしまったお芝居がありました。また書いていきます。

 

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