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"大衆演劇が在る状態"が好きなので

お芝居 「妻恋の留八」から 〜 混沌に息づく優しさ・なぜ「大衆演劇」なのか

大衆演劇にはたくさんのお外題(お芝居)があります。

 

「妻恋の留八」劇団によっては「妻恋宿の留八」「留八時雨」などの題名で上演されており、よくかかるお芝居の1つに入ると思います。

実はわたしはちょっと苦手なお芝居‥です。

 

あらすじをざざっと記します:

渡世人・留八は、逗留する一家のお嬢さんと恋仲に。親分からも二人の仲を認めてもらい、祝言を挙げることになった。しかし、この一家に長く仕え、お嬢さんのことを思っていた代貸が、留八に嫉妬。祝言をなんとか阻止しようと、一計を案じ、一家に火をつける。留八は、火の中に飛び込み、お嬢さんを助けだす。その時、顔に大きなやけどを負ってしまう。

火事の一件で状況は一変。祝言は取り止めになり、世間からは「化け物顔」と罵られ、酒浸りの日々を過ごす留八。ある日、親分から手紙が届く。それは、代貸とお嬢さんの祝言の知らせで、留八にもその席に出向くように書かれてあった。。。

(登場人物含め細かい設定は、劇団によって異なります)

 

とても辛いお話で、、、辛いだけならまだ譲れるのですが、いろいろ突っ込みたくなる箇所がありまして、、、例えば、代貸、一家に火を放つのはどやねんと。だってあんたの好きなお嬢さん死ぬかもしれんやん、とか。他にもごにょごにょ、で、初めて見た時はしばらくもやもや〜っ、もやもや〜っと、してしまいました。

 

その「もやもや」が晴れたわけではないし、あまり好きになれそうになかったのですが、先日、このお芝居に久しぶりに当たった時、気づいたこと、また、いいな、と思えることがあったんですね。


大入りの劇場の怒れる客席

以下、少しネタバレ入りですみません:

代貸とお嬢さんとの祝言の席で、留八が、列席者から罵られるシーン。白無垢姿のお嬢さんまでが、留八に「この化けもの」と言い放った。その瞬間、会場ぎっしり入ったお客さんたち一斉にざわざわっとしたんです。

「なんで?」「ひどいわ」つぶやきがあちこちから聞こえました。

お嬢さん役の役者さん、完全に針のムシロだったのではないでしょうか。

(あのぅ、これお芝居、ですから…)と、お嬢さん役の気持ちを代弁してみる^^;

そして再び静まる客席。みな怒りを抱えながら、ぐっと見ていました、この理不尽な話の筋のお芝居を、ど真剣に。

ーーああ、いいお客さんや。 いい「ハコ」や。。と、思いました。

それを引き出す役者さんも。その役に徹していた。 

 

なぜ「大衆演劇」なのか

"大衆ウケ"するものを演るのが大衆演劇、と言われます。確かに、そういう側面はあるのでしょう。「ちゃんと時代に合った『お客さん』が求めるものをやっていかないと」と、興行主さんが舞台で言われるのを、聞きました。

でも、わたし、それはちょっと違うと思うんです。

大衆演劇に「大衆」がつくのは、大衆に"合わせる"という意味では、実はなくて、舞台と客席(=大衆)で作るという意味ではないかと、、、

大衆演劇のお芝居は、客が参加できる余地があり、それぞれのこころの中で完成させる。

「余地」には、いわゆる「瑕疵(かし)」(欠点)とされるものも、あります。

実は瑕疵こそ大事だと思うのです。

それを排除したら、、、意外と面白くない。んですよ。ホント。

完全無欠のものに対してすごいなあと思うけれど、それ以上にはならない。こころをえぐられるような、ヒリヒリする感情にはならない。受け取るばっかりじゃ、ダメなんです。

つまり、足りなさは優しさ、なのです。

 

観劇は、お芝居を良悪に振り分ける作業ではない

大衆演劇のお芝居を説明する際に「大衆演劇のお芝居は単純で勧善懲悪なものが多く‥」と言われることがありますが、そうではなくて、むしろ「複雑でわけわからん」ものが多いのと違うかな(勿論いい意味で)。

「留八」も、そうです。全然勧善懲悪じゃないし。それゆえ、道徳的な考えの押し付けも、"説教"もない。そう考えると、潔いことこの上なしじゃあないか?

お芝居は、常に"正しい"ものではないし、ある必要もない。"悪い"のもあって、見る側はそれをそのまま受け取ればいい。ゾッとしたり、「こんなん嫌だ」と思えばいい。それでいい。どうにも気が収まらない時は、それぞれでどうしたらいいか考えたらいい。

押し付けない、決めつけない、任せてくれている、そんな世界だと捉えたら。

 

混沌に息づく美学と優しさ

大衆演劇が大好きで、日々繰り出される芸の数々に、凄い凄い素晴らしいと感嘆し、敬意を表しながら見させてもらっていますが、だからと言って、舞台に完全無欠を求めたり、絶対視するのは違うと思っています。

舞台には、達者なひとだけではなく、発展途上のひともいる、生きていく芸能。
客も、また然りで、だんだん観劇が上手になっていきます。
"ヤマ上げ"でも、絶妙の"ハンチョウ"があって成立しますもんね

そして、、ときどき疲れたりも、して。

みんなそうですよね、、いろいろなときがあって、いろいろな人が集うてる。

大衆演劇ほどひとを排除しない芸能を知らない。

お外題も、現代の感覚ではどやねんと思うものも、排除することなく、演じられている。これ、めちゃめちゃ大事。本当大事。と、思っています。
あまり好きじゃなかった「妻恋の留八」も、こうして舞台にかけられることで、新たな眼を開かされました。 

大衆演劇

とても大切な、心の肥やし、鍛錬剤にさせてもらっています。

 

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