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chomoku

"大衆演劇が在る状態"が好きなので

わたしが好きな「大衆演劇」の世界について考える その1

大衆演劇が好きで好きで、いま動ける限り、いろいろな劇場、月替わり興行の舞台を見に行っています。行くたびに楽しくて、喜び、涙し、そして、時々、一人勝手に考え込んだり、悩んだりしています。

以下、最近考え込んだことを書きおきたいと思います。

先月見た、ある劇団の座長が脚本を手がけたお芝居。わたしには、、感情移入の余地がまるでない内容でした。劇団のお芝居はこれまでもよく見に行ってまして、好きなものもたくさんあります。創作芝居に関してのみ、立て続けによいと思えず、さすがに「んん?」と考えてしまいました。

ただ、その時の客席は、よかった、すばらしいという賞賛の嵐でしたので、ごく少数、もしかしたらたった1人の意見なのかもしれません。それでも、やっぱり引っかかってしまうのはなぜか、何が自分にとってあかんかったか、もぞもぞ考えたことを、箇条書きします:

  • テーマが大上段で大層である
    「世の中を変える」「平和」など、至極まっとうなのですが、目新しいフレーズではなく、古く説教めいた印象。何より「この国のために」とかになってくると、全体主義的な匂いが強く、抵抗感を覚える

  • 「ヒロイズム」が皮相的
    ヒーロー、ヒールのキャラ設定が、皮相的で、大衆演劇のヒーロー、股旅の思想とは、似て非なるもの、いや全く異なるものである。
    ハリウッドぽいと思いましたが、それも違う・・何か、小賢しいゲームにあるような世界観。。。

  • 設備投資の促進化
    大掛かりな舞台設備、たくさんの一般商業演劇の役者さんを起用した立ち回り。確かに見栄えがして、迫力があります。でも、何かが違うんです、何かが。。。上手いのだけど、心に食い込まないんです。技術だけではない。大衆演劇ならではの癖のある、生々しい匂い立つようなものは、何人のプロの俳優を起用しようとも、再現されない。逆にそっちに振ってったら、普通になってしまい、没個性、疲弊路線も

  • 中央文化への傾倒・この傾向が"正"となりそうな予感
    「中央文化」に対し、大衆演劇は周辺文化=マージナル的存在であり、それであるからこそ、「反則スレスレ」あるいは「それ反則?」なことも、お目こぼしになって、生き残ってきた。結果論かもですが、「中央」とは一線を画してきたのですね。だからこんなに面白いし、その立ち位置に魂があるとさえ思っているので、こういう流れに走り出すことには、ちょっと待ってと言いたい

・・・しかしながら、上記のようなものが好まれる時代であるだろうし、この先さらに強まる気がします。悲しいな・・・

大衆演劇」は人気商売、その時代の「大衆」が求めるものを体現してきた側面もあるので、否定できないどころか、野暮はどっちねん、なんですね。

それも理解しつつ、悲しい。。悲しい。。どうしよう・・


功罪というか、こういう現代の、わたしのあまり好きではない空気をまとった創作芝居を見ると、これまでたくさん見てきた大衆演劇の王道のお芝居が、瑕疵だらけで、突っ込みどころ満載やと思っていたのに、なんのなんの、スレスレながらバランスよく、何度見ても如何ようにも捉えることができる、普遍的なものであること、そして、心にグイグイ食い込むのは、人の心をゆるませるからで、なるほどよくできたお芝居やったんやなあと、気づかされました。

深いです。

 

 

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