chomoku

"大衆演劇が在る状態"が好きなので

お芝居を気長に見るために 壬生狂言、タルコフスキー「ノスタルジア」、傾聴


ブログを始めた理由 拙くても発する

「演劇」のことを知らない者が、お芝居について書くなんてあかんのではないかというためらいが、ずっとありました。でも、昨年12月、そんな者でも書いていいのだ、と、思いました。誰にも頼まれなくったって書いたらいい。そうしないと、せっかくのお芝居たちがどんどん過ぎてしまう。なかにはどこにも記録されず残らないものもたくさんある。それが何より辛く感じることでした。

書くからにはしっかり中身の精度を上げるよう努める。明らかな間違いや、訂正すべきことに、速やかに真摯に応じる。それらを課して、書き始めました。
謝りながら、学びながら、書いていこうと。

 

わたしの演劇体験(無に等しい)

 若い頃はライブハウスに入り浸りでした。演劇のチケット代は当時のわたしには高く、とくにメジャーな劇団の公演は、そうそう行けるものではありませんでした。

「演劇」関係は、京大西部講堂で見るくらい。ここが一番のハコでした。少ないながらも観ることができた演劇の舞台は、どれもど肝を抜かれるものばかり。まさに総合芸術。そして、それを作るためにかけられる労力とお金は、素人でも推して知るべしで、当時バンドをやっていたわたしは、劇団関係の知人の話を聞くたびに、劇団に比べたらバンドなんて気楽なもんやなあと、思ったものです。

 

 

壬生狂言神泉苑大念佛狂言)の出会い

6年前に「壬生狂言」に出会いました。毎年春と秋に演じられ、木戸銭800円で、1日5本の演目が楽しめます。

 

f:id:chomoku:20160104061635j:plain

「ハンディ鑑賞ガイド『壬生狂言』」裏表紙より

 

いわゆる古典芸能を観る際は、ちょっと"頑張り"が必要と思います。
いまの世の中、映画でも病院の案内1つとっても、至れり尽くせり、利用者が分かりやすいよう工夫が施され、どんどん親切になっています。そこから一歩、古典芸能の世界に入れば、そのような親切さは存在せず(最近は徐々に改善されていますが)、観客のほうが、興行側のルール、それも暗黙のルールに合わせなければなりません。例えば、初めてだと、どこで拍手していいかもわからない。歌舞伎やお能であれば、ストーリーはもちろん、独特の口跡や音楽も、予備知識がないと、戸惑います。まずもって、やたら長い。こどもが退屈して「もう帰ろう」というのも無理はありません。

 

f:id:chomoku:20160104061915j:plain

貼り出された演目表。プログラムは当日発表になる場合も

 

壬生狂言」は、民間で口述継承され、古来からのやり方を通しており、一般的に見れば冗長な箇所があり「そこ、もうちょっと端折れませんか」と思うかもしれません。しかししかし、この長さこそがいのちで、ただ長いだけと思わず、じっくり耐えれば見えてくるものが、あるのです。

 

 

道成寺」鬼を鎮めるためには

以前、神泉苑の大念佛狂言を観た時のことを、こんなふうに書きました:

"最も印象に残ったのは、勇猛果敢な太刀まわりや「土蜘蛛」が、糸を放つ見せ場より、道成寺」という演目の、襲い掛かる鬼をお坊さんがひたすら祈って鎮めるシーンです。これがまた長ーいことかかりまして、延々同じ動作が繰り返され、「いつになったら終わるねん」と思うも、いつしか完全に引き込まれ。槍や刀でなく、祈りで長い時間をかけて沈める、つまり、武器を一切使わずに鬼を鎮めるには、それくらい時間がかかることなのだと。舞台を観ているわたしたちは、それを追体験している…"

f:id:chomoku:20160104062209j:plain

神泉苑の大念佛狂言の会場入り口 こちらはなんと無料! 

 

 

ようやく身体に沁み入る「ノスタルジア

上の文章を書きながら思い出したのが、アンドレイ・タルコフスキー監督の映画「ノスタルジア」でした。そう、あの長回しで有名な。。。。

 

f:id:chomoku:20160104063221j:plain


「いい映画だけどちょっと眠かったかな」
初めて観た時の感想です。これ、半分嘘です。「背伸び」してたんです。「これをいい映画だと思わなければ」と思い込んで観たので「寝てたので分からなかった」と言うのが恥ずかしかったんです。

でも、いま、ようやく隅から隅まで見入ることができるようになりました。この美しい映画の、時間の意味が、わたしのなかに入ってきました。壬生狂言の、おかげです。(「ノスタルジア」についてはこの方のブログに詳しく書かれていてオススメです)

 

 

 

大衆演劇のお芝居 同じ台詞と傾聴

大衆演劇のお芝居のなかにも、冗長と感じる箇所があります。でも、ちょっと堪えて観てみませんか、、、という、提案です。

「同じ説明台詞を何度も言うのは、お芝居の途中で入ってきた人のため」というのを、ツイッターで教えてもらいました。なるほどでした。

また、傾聴という観点で。身の上話を聞くときを想定しながら、聞くとよいです。ほんまかいな。ほんとほんと。人の話を聞く訓練というと大げさですが、マジ鍛えられます。

ひとは、ひとの話を聞いているようで、聞いてないんです。聞いているつもりでも、「自分が聞きたいことだけ聞いている」「聞きたいように聞いている」ことが多いです。

台詞を、一言一言、たがわず、じっくり聞いていると、あ、そうか!そういうことか!と気づことがあります。

ことばは意外と嘘がつけない。どこかに気持ちが滲み出るもので、とても怖いことでもあります。でも、だからこそ、ひとを信じることができる。変な言い方ですが、嘘からひとを信じられる、ことも、あると思うのです。

 

 

まとめ(のような)

長々と書いてしまいました、読んでくださってありがとうございます。

というわけで?、このお芝居ちょっと長たらしいなと思ったとき、こういうの苦手だなと思うお芝居でも、いつもよりちょっとだけ頑張って、待って、聞いてみませんか〜という提案と、その補強?として、壬生狂言タルコフスキーの映画も合わせて。壬生狂言は、大衆演劇をお好きなかたは、きっと楽しまれると思います。とくに「桶取」はぜひ観ていただきたい演目の1つです。これについても、過去に書いていますので、またよろしければお読みいただければ幸いです〜!

 

f:id:chomoku:20160104073522j:plain

 

 

Copyright © chomoku All Right Reserved.