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"大衆演劇が在る状態"が好きなので

2015年観劇まとめ こころに刻まれたお芝居15選その3(3つ)

大衆演劇 劇団悠 剣戟はる駒座倭組 浪花劇団

2015年観劇まとめ お芝居15選その3です。(その2はこちらです)
5つあげるつもりが、文章が長くなってしまったため、3つまでに。
しばしお付き合いいただければうれしいです〜:

 

11.「化け猫」劇団悠@明生座(大阪市西成区)
    2015/11/15 お昼の部

(ケレン)

松井悠座長の華麗なアクションに刮目するお外題。

舞台は江戸時代の武家屋敷。すずは殿の寵愛を受け幸せに暮らしていたが、それを妬む家臣によって毒を服用させられ、不遇の死を遂げる。飼い主の恨みをはらすべく愛猫たまが妖変、夜な夜な屋敷内の者に襲いかかる。。。

「燈籠抜け」や「戸板返し」など、明正座の舞台はコンパクトゆえスピード感がアップだそうで、すごい!技が繰り出されるたびに声を上げてしまいました。大技だけでなく、家来たちが妖術にかけられ翻弄させられるところなど、息の合った演技も見どころ。怖いだけじゃなく笑いも含ませて。

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口上にて 左:松井悠座長 右:嵐山錦之助さん

 

最後は、悲しい。「化け猫退治」に召された尼僧の読経に、苦しみながらもなお殿に襲いかかろうとするたまを、すずが止める。もう許そう、と。復讐適わず泣くたまを、今度はすずが慰めるのです「わたしは愛されて幸せだった。地獄は一人では寂しい。一緒に参ろう」。。。荒波が自ら鎮まるように、「化け猫」が「猫」に戻ってゆく。このあたりのこころの葛藤も、アクションシーンと同等に大事に描かれています。

すずの言葉にウルウルしながら、猫派のわたしとしては「もっとやったれ!」とも思って(笑)、もどかしかったのですが、助けられた殿役の藤千之丞さんと、尼僧役の高野花子さんが、その表情で、悼みと懺悔を表現されていた。少し救われた気持ちになりました。

 

 

 

 

12.「供養旅」剣戟はる駒座倭組@木川劇場(大阪市淀川区
    2015/3/22 お昼の部

 (股旅もの)

大衆演劇らしい、よいお芝居。
大衆演劇を初めて見る方をお連れしたいお外題の1つです。

幕が開くと、舞台は山深い里。百姓の子が歌っているところに、旅姿の男(不動倭座長)が通りかかり、話しかけます「いい声だな。もう一度聞かせておくれ」。男が胸に抱えているのは、白い布に包まれた骨壷。「もう一度聞かせておくれ」とは、この骨となったひとに、聞かせてくれと言っているのだろうか。ふたたび歌うこどもの、響く声に、男はひと心地ついて、これまでのことを語りますーー。

渡世のしがらみはどこまでも追いかけてくる。一度はヤクザ稼業から足を洗った男だったが、もと親分一家の窮地に加勢を頼まれ、仕方なく引き受ける。その代償はあまりにも重かった。自分が出ているあいだに妻が殺されてしまう。必死で働いて、ささやかながら穏やかに暮らしていたのに。。。それまでの百姓の顔から一変、怒り猛る渡世人になる、倭座長の演技に、引き込まれました。

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芝居の扮装で口上挨拶する不動倭座長

股旅ものには"花道"。木川劇場は小さいハコながら花道が立派で、最後のシーン、その花道を通って去って行く倭座長の、朗らかで、たくましく、どこか寂しげで、本当によい風情。子分になってついていきたい旅鴉です。

 

 

 

13.「安来のお仙」浪花劇団@千鳥劇場(高槻市
    2015/6/28 夜の部

(芸能史的側面から) 

安来節の一座」が登場するお芝居で、大衆演劇のなかでも貴重なお外題の1つと思ってまして、ご紹介したく取り上げました。

(あらすじ)

安来節のお仙一座は、「どじょうすくい芸」を披露しながら旅回りしている。働き者のお仙に比べて、夫は道楽者。旅回りの身を下げずんでもいる。さてその夫が、旅途中のまちの大店の娘に見初められ、結婚を申し込まれる。はじめは当然断るも、店の使いが実の兄。説得されて応じてしまう。兄たちは、お仙を諦めさせるため、祝言の席に、おせん一座を呼ぶ。何も知らずに喜んでやってきたお仙は、紋付袴の花婿姿の夫を見て驚く・・・

安来節のシーン、お仙役の浪花めだかさんの踊りがとても上手で、ここもっと長くしてほしい〜と思いました。
お仙たちが酷い扱いを受けるなど辛い物語なのですが、旅回りの芸人と見下げられながらも、自分たちの芸に誇りを持っていること、過酷な時代に女性が生き抜くうえで、身につけざるを得なかった諦めが、描かれているのを、見逃さないようにしたい。お仙が最後に身を引くのも、夫の幸せを思う深い優しさとも捉えられるけれど、現実をひたすら受け入れながらも、芸人としての矜持を守りたかったのだとも、考えられます。

 

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写真は同日のラストショー「兄弟仁義」後の浪花劇団のみなさん
左からお二人めが浪花めだかさん

 

以下、少し長くなりますが、小沢昭一さん著「芸能入門・考」(明石書店)から引用させてもらいます:

本には、島根での聞き取り調査によれば「安来節は"渡部お糸"が第一人者だけれど、全国津々浦々にまで広めたのは、山陰の貧しい山村、非差別部落の、名もなき娘たちだった」とあります。

「あちこちの、小さな小屋や、村祭りなどをめぐって、うたって歩くのである。有名なお糸一座などは、立派な劇場で公演してまわったけれど、非差別部落の娘たちが加わった一座は、そういう劇場よりも、"花"をもらって、村々を演じてまわるのであった。半ば物乞いに近かった」

「人気絶頂のお糸一座を街まで見にいける層は限られている。テレビはいうまでもなくラジオもない時代だ。…お糸一座のように、華々しくはなく、少人数でみすぼらしくても、山間の村までやってくる芸人たちを、農民たちは歓迎したのである」

www.amazon.co.jp

 
芸能史のこのような側面を知らされる機会は、なかなかありません。また、このようなテーマを、商業演劇として取り上げたところで「万人受けする」ことは考え難い。それを、大衆演劇で演じられて、お芝居を通して知ることが出来るなんて、めちゃめちゃすごいことで、すんごい意義のあることではと、思うのです。

大衆演劇のお芝居は埋もれた庶民文化の宝庫

大衆演劇のお芝居は、じつは埋もれた庶民文化の宝庫で、発見するたびに驚かされます。それらは、決して誇張されることなく、さもなく散りばめられてあるので、意識して見ていなければ、するすると過ぎてしまう。でも、それでいいし、それくらいの"重さ”であるのが、いい。意味付けされてないのがいい。いろいろな見方が出来る、いろいろなやり方がある、大衆演劇の包容力。他にない大きな魅力ですよね。

「安来のお仙」は、浪花劇団だけでしか知らないのですが、他にも同じようなテーマのお芝居があれば見てみたいです。そして、いつか、お芝居になったいきさつを、お伺いしたいと思っています。。

 

以上、お読みいただきありがとうございます〜〜
(あと2つ書けるやろか、、、)

 

 

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