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chomoku

"大衆演劇が在る状態"が好きなので

2015年12月8日 ユーユーカイカン 劇団松丸家「命の掛橋」

四日市市にある「ユーユーカイカン」

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うちからだと県境を2つ越えるのですが、車で行けばドアツードアで1時間半。関西の劇場であまり見る機会がない関東圏の劇団さんの最西端公演地?になるのかな、ここで観ることが出来る、ありがたいセンターです。

 

今回は「劇団松丸家」

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関東系ではないのですが、2ヶ月ぶりの松丸家さん観劇、楽しみにやって来ました。
劇団松丸家のお芝居では「吉五郎懺悔」「暴れ行灯」が大好きで、今回の「命の掛橋」は、この2つのお芝居と共通するところと、また新たな面白さがある、良いお芝居でした。

 

 

お芝居「命の掛橋」
(キャスト) 

目明しの金看板・甚九郎(咲田せいじろうさん)
その子分・久蔵(小弁太座長)
その子分・三次(三代目鹿島順一さん)
目明し・根岸の親分(甲斐文太さん)
根岸の子分(光姫さん・翔さん・ふみやさん)
久造の母おさわ(こももさん)
 

第1場 甚九郎の家

甚九郎は江戸で「金看板」と言われる腕の立つ目明し。情に厚く、かつてヤクザだった若者2人(久蔵と三次)を自分の身内にして、十手持ちにとりたて、ともに暮らしている。

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甚九郎:咲田せいじろうさん( 個人舞踊「川」)
コミカルな役で登場することが多いせいじろうさん、今回は情け深いかっこいい親分役。立ち居振る舞いから重みと情が滲み出ていて、かっこよかったなあ 

 

ある日、目明しの根岸の親分が、子分を引き連れ「久蔵を出せ」とやってくる。

 

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根岸の親分:甲斐文太さん(ラスト舞踊「サムライ」)
悪役のとき、瞳の奥がうれしそうに輝いて見えるのはわたしだけでしょうか

 

 

「伊勢屋で強盗殺人があっただろ。久蔵がやったんだ」

「まさか、久蔵はそんなことする奴じゃない」

取り合わない甚九郎に、根岸がさらに言う。

「義理とはいえ親がそう思いたいのは無理はない。が、動かぬ証拠がある。殺された主人のそばにこれが落ちていたんだ。誰のかわかるか」

見せられた煙草入れは、たしかに甚九郎が久蔵に餞別に与えたものだった。

久蔵は、半年前(?)、自分のせいでひとりの娘が殺されたことで十手捕縄を返上すると言ってここを出たきり、行方知らずになっていたのだ。

「困ったことになっちまったな」と甚九郎。心配そうに遠くを見つめる三次。

 

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三次:三代目鹿島順一さん(個人舞踊「きりぎりす」)
すぐカッとなるけれど、身内思いの優しい三次。三代目が出てくると目が離せなくなります。芝居の鬼、チャーミングな熱血漢。

 

 

「御用」の声。
役人に追われながら、筵をかぶり破れた着物姿の久蔵が帰ってくる。

 

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久蔵:松丸家小弁太座長(個人舞踊「風唄」)
着物を捲り上げて駆け込んできた座長のスネを見て「ツルツルのきれいな足!うらやましいわ」と隣のかた。同感です笑 きれいなだけでなく、鍛えられた身体から発する緊張感と並ならぬ役者魂。

 


甚九郎「久蔵お前、いままで何をしていたんだ」

久造「俺のせいで殺された娘さんに報いるためにも、真っ当に生きようと、悪さはせず、日雇い人足しながら過ごしておりやした。伊勢屋殺しは俺じゃねえ。煙草入れは、博打場で因縁つけらされて落としたんだ。どうか信じておくんなせえ。」

甚九郎は、久蔵に、信じる、必ず身の証をしてやるからと、一旦は縄をかけるも、久蔵の涙を見て再びたずねる。お縄になるのが悲しいのかと。
 俺自身はこれまでの悪さのツケと諦められますが、上州の木崎村にいるお袋に、申し訳なくて、涙が出ちまいました。

会いたいか。一目だけでも。それを聞いた甚九郎は言う。
三次、縄をといてやれ。久蔵、3日やる。木崎村まで行って、3日後、入り会いの鐘がなるまでに戻ってこい。

「おいら幸せもんだ。お天道様も、ようやく微笑んでくれた。」と久蔵
「まだ半分だ。もう半分は、お前の身の証をしてからだ。」と甚九郎。

 

 

(第2場 上州木崎村)

 久蔵の母のところに、三次が駆け込んでくる。久蔵は来ていないという。なんということだ。じつは、根岸の親分に責められて、親分、久蔵兄いが約束通り帰ってこなかったら、腹を切ると言っちまったんです。三次が取って返したあと、入れ違いに久蔵がやってくる。役人に追われて回り道していて遅くなった。やっとの思いで帰ってきたが、すぐに江戸に帰らないと親分の命がかかっている。恩も義理もあるひとに、果たさなければならないよ。息子を返しながら、久蔵の名を呼び泣く母。その声も、御用の声がかき消していく・・・

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こももさん(個人舞踊「ねぶた節」)
こももさんの年老いた母役にはいつも泣かされます

 

(第3場 甚九郎の家)

切腹の準備が整っている座敷。根岸の親分が、ニヤニヤしながらやってくる。
正装で迎える甚九郎。さすが金看板、いい覚悟だ。
もうすぐ入り会いの鐘がなるというのに、久蔵の姿が一向に見えない。
何やってるんだ、兄き! 何度も遠くを見る三次に、観念した甚九郎が、切腹の介在をせよと伝えるーーー


所要時間1時間と20分。途中で「時間押してる!」と言いながらも、丁寧に丁寧に演じられ(最後に「救済」の楽しい一幕も)、終了。

 

 

わたしと息子のこと

わたくしごとで恐縮ですが、中学生の息子がいます。このお芝居を見るちょうど前日、先生から呼び出しがありましてね。

中学校から携帯に「着信」があるたびに、「どきっ」とします。何があったの?誰かを傷つけた?傷つけられた?・・・幸い、いまのところ大事には至ってないのですが。

同じ年頃の子を持つかたに聞くと、みなさん、多かれ少なかれ、いろいろ、あるようです。警察にも何度も行ったよ、と、さらっと答えてくれるかたも。

子が、小さいときは小さいときで心配なことはあったけれど、ティーンエイジャーにもなると、その心配の種類が違ってくるんですね。

正直、わたしがこどもに「こうあって欲しい」と思うとおりには、全くいきません笑
話しても平行線だったり。結局「ええい、親のゆうことを聞け!」と一喝してしまう・・・のは避けたいのですが、そうせざるを得ないことが多いです。

 

そんな思いを抱えながらお芝居を見ていると、
久蔵が「おっかあ」と言うたびに、「どきっ」
「おっかあに申し訳ない。なんで俺あ、こうなっちまうんだろう・・」
そんなセリフに、学校からの「着信」以上に、「どきっ」としてしまいました。


こどもを信じて、こどもの気持ちをちゃんと考えたことがあるのかと聞かれたら…残念ながら、「イエス」とは答えられない。
なので、久蔵を通して、わが子の声を聞かされているような気がして、、、
おおげさですが、ほんとうに。こんな気持ちでお芝居を見たのは初めてでした。

 

生活と地続きの舞台

大衆演劇の役者さんにとって舞台は生活でもある」と聞いたとき、なるほどと思いました。

それは、客にとっても同じなんだろうと思います。
みな、みな、生活と地続きなんです。そして、それが、いい。
一緒に泣いて、一緒に笑って。
この日のように、自分のリアルと重ね合わせたりしながら・・・

 

そして息子へ

こどもが親のことを思ってくれるのは心底うれしい。

でも、でも、言いたいな。親孝行よりも、目の前にいるひとを一番に大切にしてね、と。あなたが幸せになってくれることが、わたしも一番望んでいることだと。

じゃあ何が幸せなんだろうか?

これもほんとうにひとそれぞれですが、わたしは、、、このお芝居でいうと、久蔵を何があっても信じてきってくれた甚九郎親分や三次のようなひととめぐり合うことが、一番幸せなことじゃないかと、思うのです。

  

 

 

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