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"大衆演劇が在る状態"が好きなので

「滝の白糸」から

先日、劇団十六夜さんの「滝の白糸」を観て、だーだー涙を流していました。 

「3年、仕送りをしていりゃ、世の中の暮らしというものが少しわかる気がしてきた。 こんな見栄を張る商売をしているから、人様の暮らしなんてわからなかった。 学問をするのにどれだけのお金がかかるか、日に3度ご飯を食べるにはどれだけかかるか、わかるようになったよ」

こんなセリフだったか、、メモ書きから。

法律を学ぶ学生・村越欣弥に仕送りをする白糸のセリフです。

夏から冬になると水芸の人気は落ちる。苦しい興行が続くなかで、必死で工面する白糸が、笑顔でこう言うので、、、わたしの目は壊れた水芸のごとく涙が止まらず、いや、もう、いつまでも泣いていたい気持ちでした。

 

市川叶太郎座長の着物が、映画で白糸が着ていたものと同じ将棋の駒柄で。素敵でした。その着物を着た口上のお写真をブログにアップしていいか、お伺いするのを忘れてしまったので、次回参った際に伺おうと思います。

 

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(画像はマツダ活動大寫眞様

 

 

お芝居小屋の客席で・悲しぃてやがて胸熱くなる夜 自分の想像なんぞはるかに超えるここはやっぱり天国だと思う

仕事を切り上げ、夜の部の公演を観に劇場へ。

その日は開演時間に間に合わず、劇場の扉を開けたらミニショーが始まっていました。200人くらい入れる客席に座っている人はまばらで、少し寂しい状態でした。それでもいつもと変わらず美しく化粧をし、着付けて、ビシッと踊る役者さんの姿を見て、胸が熱くなり。

お芝居が始まる頃、3人組のお客さんがドヤドヤと入ってこられました。「お客さんが増えてよかった」と思ったのはつかの間。最尾列の席に座ったお三方は、大きな声でしゃべり始めたのです。

し、静かにして・・・わたし以外の何人かのお客さんも目配せを。その3人の手には缶チューハイ。あ、まずい、と思いました。お酒を飲むと声が大きくなってしまうやん。こちらの苛立ちも届かず、しゃべり続ける3人。

近くの席の人、注意してくれないかな、、、お芝居に集中できず、カッカしてきました。舞台の上の役者さんも絶対気になっているに違いないと思うと、いたたまれなく、こうなったらわたしが行くしかないかと考えました。が、それはそれで、いや、もっと舞台の妨げになってしまう。

まだまだ喋る続ける3人。しかし誰も何も言わない。
わたしも気にせず、舞台に集中したらいいのではないか。でも・・・
そんな葛藤が、お芝居の中盤近くまで続きました。

後半、その3人が、喋るのをやめ、舞台に対して応援の声を上げ始めました。
「ええぞ、座長!」「うまいなあ」

そしてチョンチョンチョン…と、終わりを告げる柝とともに、拍手喝采。
「よかった、よかった」と言い合う声もやっぱり大きい。

 次の舞踊ショーではその3人が大活躍で笑 決して多くない客席でしたが、拍手に掛け声がいっぱい飛ぶ、賑やかなひとときとなりました。 

あの時「静かにしてください」と言わなくてよかった、と、心から思いました。 

「危ない」「怖い」と、人が言う地域のお芝居小屋。
聞くたびに、そんなことないですよ、と、言ってきた。
「酔客がいるんでしょ」と言われた時も「そんなことないですよ」と返してきたけど・・・

厄介な日が、あることは事実です。

でも、その先には、こんな世界を見せてもらえる。

許し許されある世界。

そこに行き着くには舞台のうえの力があってこそで・・・毎日毎日いろんなことがあって、いろんな人がいて、めちゃたたかっていると思います。

 (お芝居で集音マイクを使っておられる座長に「本来は全員ピンマイク無しでしたいのだけど、お客さんから聞こえないって言われて、主要な人だけつけるようにした」と伺いましたが、会場が広い時と、騒がしい時の、両方あるからだろうと…この日を機に思いました。)

もう1つ、この次の日、別の劇場で。

この夜もちょっと客席が寂しかったんですが、お二人ほど、絶妙のタイミングで掛け声をかけるお客さんがいらっしゃって。

お芝居後の口上で座長が言われました。

「僕らはプロですから、どんな(少ない)時も全力でやるんですけどね。ロボットではないので、、今日みたいにお客さんから声をかけてもらえると、嬉しいですね。よしっ!と乗れて、すごく演りやすかったです。今日のお客さん、プロですね笑」

掛け声のお客さん以外も、便乗で褒めてもらえて、よっしゃ!となりました。

 

2夜連続で、ええもん見せてもらえた。
大事なこと教えてもらった。

持ちつ持たれつ芝居小屋。その日居合わせた者たちで作るひととき。

やっぱりだい好きだ、大好きだーー

これまでもなんども言うてきたけれど、この2つの夜を境に、もうちょっと踏み込んで、、、思いを込めて言いたいです。

いろいろあるけれど、やっぱりここは天国だと。

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まずい声の、抱きしめてくれる歌

「最後にあの歌、歌ってくれねえか」

「ああわかったよ。まずい声だが、聞いてくれるかい」

そう言って、おむもろに歌いだすーー

お芝居の大詰め、こんな場面に出会うことがあります。

「まずい声だが・・」のあたりで、早くも涙が出てしまいます。


歌うことしかできない者、

そしてそれを聞くことしかできない者。 


「まずい声だが・・・」が出ると、寂しい結末になることが多いです。

うんと悲しいメロディを持ってきて、さあ泣け〜って、フッフッフ、その手には乗らん・・・? それでも、もう歌うしかないだろうときがある。歌でもないと辛すぎるときがある。

「まずい声の歌」ほど、泣いてしまう。その気持ちを、歌が、抱きしめてくれもする。

 

SAKANAという大好きなバンドにこんな歌があります:

Mr. Love Singer & Love Song Writer

バラの花束のようなメロディーと綿菓子のような

声は持っていない はきつぶされた

手入れの行き届かないブーツみたいにかすれている

でもなぜか嬉しくなるよ あの声が聴こえてくると

("Mr. Love Singer" 詞曲 Pocopen / SAKANA “LOCOMOTION”)

 

「まずい声で」と、役者さん方は言われるのですが、みなさんめちゃめちゃうまい!です。

「しょせん役者が歌う歌ですよ」笑いながらおっしゃる方がありました。

 

今宵も「まずい声ですが…」と、1曲。

聴こえてくると嬉しくなる。

それは、わたしみたいなまずい者でも抱きしめてくれるような、 素敵な歌、なのです。

  

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殺人の罪で服役している人のこと 山本譲司著「獄窓記」より

第3章「塀の中の掃き溜め」より

 一般的に言うと、殺人犯というのは、気が短い人間だと思われがちだが、寮内工場で出会った人たちは、そうではなかった。殺人罪で服役している8人全てが、温厚でおっとりした性格の持ち主だった。耐えに耐えて、忍びに忍んで、その挙句に、人を殺めてしまったのであろう。彼らは、たびたび、たちの悪い収容者からの苛めを受けていた。

「おい、人殺し。俺、生きていくのが嫌になったんで、今度、俺を殺してくれよ。一人殺すのも、二人殺すのも一緒だろ」

 こんな挑発にも、彼らがそれを相手にすることは、ほとんどなかった。

 さらに言うと、殺人を犯してしまった者たちは、他の同囚と比べ、罪を償うという意識が非常に強かった。したがって、作業に取り組む姿勢や日常生活における態度も、きわめて実直であり、指導補助の立場からすると、手がかからない人たちでもあった。逆に、軽微な罪で服役している者ほど、わがままが多く、世話が焼けた。「ションベン刑の収容者には近寄らないほうがいい」という教育訓練工場の指導補助が言った言葉が思い起こされる。

 山本譲司著「獄窓記」(P268〜P269)新潮文庫

 

「失う」ことが苦しみだけではないことを

新聞記事より

「芸術」という営みは、「失う」ことが苦しみだけではないことを、人間に伝えるために存在しているからです。

 一枚の絵、一つの曲、一篇(いっぺん)の詩、一冊の小説、どれも作り手たちが、何かを失うこととひきかえに作り出されたものばかりです。喝采を受けず、冷たく無視されても、作り手たちは後悔しないでしょう。なぜなら、作り出すこと自体が、彼ら自身への幸せな贈り物でもあることを知っているからです。

(2017.10.30 毎日新聞人生相談 別れた人と仕事継続、切ない=回答者・高橋源一郎より)

 

  

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