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chomoku

"大衆演劇が在る状態"が好きなので

2017年3月の感謝観劇

「観たいお芝居が多すぎて困った」なんて贅沢なこと。。。関西にいるとこんな贅沢が当たり前に思ってしまう。東も西も、劇場やセンターが閉じられる話が止まらない。ならば、ここから、1人から。

  • 筑紫桃太郎一座花の三兄弟@遊楽館
    藤千乃丞さん特別出演
  • 本家真芸座@千鳥劇場
  • 嵐山瞳太郎劇団@那智勝浦天満座・旗揚げ公演
  • 優伎座@鈴成り座 市川英儒座長誕生日公演
    市川市二郎座長・市川かずひろ座長・かつき夢二座長・葵政次座長
  • 劇団章劇@篠原演芸場
  • 劇団暁@立川けやき座
  • 新川劇団@庄内天満座
  • 劇団紫吹@梅南座 ゲスト若葉しげるさん
  • 劇団花吹雪@浪速クラブ
  • 浪花劇団@岡山後楽座
  • 剣戟はる駒座鵣汀組@新開地劇場
    勝龍治総帥古稀祝特別公演
    美影愛さん「羅生門」「逢いたかったぜ」
  • 都若丸劇団@羅い舞座京橋劇場
  • 山根演芸社社長山根大氏講演@大阪市中央公会堂
  • 春は阿倍野の歌まつり@阿倍野区民ホール
    ちんどん通信社さん出演

 

 

 

夢の住処

大衆演劇が好きで好きで。

昨晩も、あるお芝居小屋にいて。

「ざちょうぅぅぅ!!」「さんだいめっ!!」

客席の後方を陣取った女性たちの、腹筋を使った良い声が、

スコーンと舞台へ飛んでいくのを、うっとり聞いていました。

お客の熱さに、舞台もノリノリ。

熱心にお芝居を見て、ショーが始まれば手拍子をして、冗談によく笑う客席、

打てば響くとはまさにこのこと。

そんなハコの熱気に浸りながら「ああ夢のようだ」と・・・

なんど経験しても、思わずにおれない。

 

すごい芸を、造作なくやってのける大ベテラン。

二十歳そこそこで座長を襲名し、毎日舞台に立っている青年。

男性が美しい女形に、女性がやくざ男に。

こどもが道行きの恋人になることもある

たっぷり3時間、これでもかと観せてくれる。

 

自分が逆立ちしたってできないことばかり、

大衆演劇の技を持った人たちを、心から尊敬している。

 

しかし、世間の多くの人は、大衆演劇を知らない。

また、どーも、いいイメージを持たれていないようである。

 

「ドサ廻り」

「古臭い」

「二流・三流」・・・

 

知り合いが、演劇好きという人を大衆演劇に連れて行った時、その人から

「思ったよりレベルが高くてびっくりした」って、言われたらしい。

どんなレベルと思ってたのか。

そしてそのレベルのイメージとやらを、どこでこしらえたのか、聞きたいものだ。

 

「なんで見もしないうちから、決めつけるんかなあ」とわたし。

それに対して知り合いが言った。

「でも、だいたいの人がそうじゃない?」

大衆演劇は、どうやら芸能文化のヒエラルキー的には、

決して良いポジションではないみたいなのです。

がーん、せやったんか。

好きすぎて気づかなかった。

 

・・・河原興行から始まり、長い間、低い身分とされてきたという役者。

中でもさらに下とされた巡業の集団。その芸の質とは別に。

 

「さて、全国の皆様、ここに結集いたしますは大衆演劇、ドサ廻りの連中を集めましての、中身たっぷりの演技、ごゆっくりご観覧くださいませ・・・」

お芝居の前に、そんなナレーションをかけられる劇団さん。

幕が開き、見せてもらえるのは、心と身体を張った小気味良い芸の数々だ。

 

ドサ廻り 古臭い 二流・三流・・・

 

世間の多くから、そんな風に思われる世界を、選んだ人たちが、

どうしょうもなく好きだ。

 

芝居が好きだからと、人生かけて挑む座長を、

何かの拍子に板の上に飛び込んできた若者を、

どうしたって、応援したいと思う。

  

確かにいろいろややこしそーな匂いもする。

見ていてしんどいなーと思う日もある。

それでも、ここにしかないものがどれほどあるか。

 

むかしから伝えられてきただろう細やかな所作。

いったん堰を切れば、つらつらと口から溢れる言い回し。

梅の花がほころんで、闇の中でも香り続けるような舞踊。

 

これらは危うさと表裏一体で、他では得難いものばかり。

 

映画代より安い木戸銭で、舞台と客席、身体と心の張り合いによって

築かれてきたスリリングな世界に、痺れている。

 

 

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2017年2月の感謝観劇

ナンテコッタイ ブログ全然書けてないままあっという間に2月が終わってしまいました涙 楽しく感慨深いことてんこ盛りの1月間でした。感謝、感謝。

  • 浪花劇団@木川劇場
  • 劇団あやめ@此花演劇館
  • 本家真芸座@やまと座
  • 紅劇団@鈴成り座
  • 劇団美山@舞い舞座京橋劇場
  • 劇団美鳳@浅草木馬館
  • 春陽座@三吉演芸場
  • 筑紫桃太郎一座花の三兄弟@ゆの蔵
  • 劇団都@梅田呉服座
  • 森川劇団@弁天座
  • 澤村慎太郎劇団@オーエス劇場

 

 

 

2017年2月の観劇記 その1 ベテラン的品と毒 〜 山戸一樹さん・華月慎さん

今年に入ってからブログをなかなか書けず。。仕事もバタバタ家のこともバタバタ時間あらへん〜って言いながら、相変わらず「隙あらば観劇」余暇のほとんどをお芝居小屋で過ごしています^^;

2月も、はや後半。どんどん過ぎてしまうので拝見した舞台からダダッと綴っていきたいと思います。まずはこのお二方のことを。。。

 

山戸一樹さん

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劇団あやめさん@此花演劇館公演に客演中。姫猿之助座長のお父さん("ゴッド"ですね)のお師匠さんにあたる方と伺い、納得です。

品、そして毒も、同居している。

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女形のお手本のような所作や穏やかな物腰に見とれていたら、立ち舞踊では、大漁旗をぶん回し、ドスン!と「どたんを決める」荒技に度肝を抜かれました。

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「どたん(土壇?)を決める」= 見栄を切って飛んで、お尻から着地するという荒技のことを、こう言うそうです。お尻から落ちるなんて痛くないの?と、見ている方がビビってしまいますが、ちゃんと痛くならないように落ちるコツがあるそう。わたしが見た中では、この技を舞台上でなさった役者さんは、浪花劇団の蛇々丸さんと山戸一樹さん、ただ2人です。

 

終演後。「送り出し」のにこやかな居住まいは、思わず手を合わせたくなるほどです。

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このかたの舞台を1分でも多く見ておきたい。。3月の笑楽座にも出演されるそうです。嬉しいなあ。

 

 

華月慎さん

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紅劇団さん@鈴成り座公演に客演?中。

劇団荒城の荒城照師座長のお父上だそうです。

お芝居中、役人の役で。舞台上手から紋付を羽織って颯爽と登場、背格好と身のこなしの良さ、艶っぽさにドキッとしました。

舞踊では「小鉄の女房」

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これまた色気漂う男ぶり。

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この方も、品と毒が同居している。。。

見惚れてましたら、次の日のお芝居ではよもやのスッピンで登場。「傍若無人な座長」の役で大暴れ。唖然。

送り出しでお聞きしたところによると、この役づくりはご本人案だとか。ひええ〜そんな、そんな。ますます惚れてしまうやないですか。

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2月19日 紅劇団さんの新作狂言「ACTOR」カーテンコールで。

大衆演劇を題材にされたという、このお芝居についても書きおきたいところです。が、頑張ろう。。。

 

 

 

 

「見巧者」の真似事はじめ

「上方芸能」のバックナンバー198号に載っていた「見巧者(みごうしゃ)」について書かれた記事から、最近観劇しながら考えていることに、とても良い示唆を受けました。

 

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少し長くなってしまいますが、引用します:

「現在に見巧者は生存可能か?」
情報科学芸術大学大学院教授 小林昌廣)

見巧者。直訳すれば「見ることに巧みな者」ということになる。文筆家の天野祐吉は、この見巧者について、こんなことを述べている。

"で、そういう見巧者というのは、見方がじつに細かい。芸のディテールにうるさい。たとえば、近松門左衛門の「曽根崎心中」を見るとしますね。いまの観客だったら、あんなことで死ななくていいんじゃないか、とか、二人を苦しめている封建的な社会制度にモンダイがあるんじゃないかとか、広い視点からものを言う。

でも、当時はそういう視点は閉ざされていましたから、必然的に観客の目は、芸の細部へ細部へと、向けられていったんですね。で、「きょうの幕切れの藤十郎は、もうひとつ手のあげ方が低かった」なんてことを言う見巧者が生まれていったんだと思います。

つまり、目(と耳)だけが異常なくらい洗練された観客が多くなっていったわけで、そういう観客の要求にこたえるために、芸もまたどんどん洗練されていく。…" (引用元:http://amano.blog.so-net.ne.jp/2005-12-14

 

また、著者小林昌廣さんのこどもの頃の話。

歌舞伎座の常連に、目が見えないお年寄りがおられて、見えないけれど、いつも最前列に座るのを不思議に思って見ていたと。ある時、2階席からそのお年寄りが、舞台に向かって上半身を前のめりになり耳をそばだて、文字通り「身体で観る」ということをしていたのを見た…と。読みながら、その方が舞台に食らいつく様子を、しばし想像していました。

 

「広い視点からものを言う」のを一旦外す

「広い視点からものを言う」・・・あまり自覚がなかったのですが、現代のわたしたちは、概ねそういう見方をしていると思います。「あるべき論」や、何かにつけジャッジしようとしたり。それは、自然なことではなく、一定のトレーニングを経て会得したものやったんやなあと、上の記述を読んで思いました。具体的には小中学校の道徳教育とか社会科、国語の授業からでしょうか。

「広い視点からものを言う」ことは、どちらかというと良いことと思っていました。しかし、、、大衆演劇のお芝居を観劇するには、そういう見方はちょっと置いておいても良いかもしれない。

本来の「見巧者」にはとてもなれませんが、"なんちゃって見巧者"?を気取って見ると、新境地、とっても楽しいことがわかったんです。

 

「敷居のまたぎ方」が3回とも違う

「情けの捕縄」というお芝居。何度か見たしもう見なくてもいいかな〜と思ったのですが、たまたま当たってしまった。

話の筋はわかっているので、いつもみたいにメモも取らず、余裕を持って見ていました。

役人が、うどん屋の親爺さんの長屋を尋ねる。最初、ふらっと訪ねてやってきた時は、さらっと敷居をまたぐ。そのためらいのない入り方で、役人と家人が親しい関係であることがわかる。

2度目、ここに逃げた罪人がいるかもしれないと思いながらやってきた時(実際匿っている)。少し重々しい足付きで、敷居をまたぐ。本当は入りたくない、役人の気持ちが垣間見える。

3度目。さっき「ここにはいません」と言われて引き上げたものの、またやってきて。「やっぱりいるんだろ…」と言いたげに踏み込む。この3回目の時だけ、敷居を越えた足を、かかとから着地させて、にじり、と、入っていくんです。1度目と2度目は足先から降ろしていたのに。

意識すれば、さらにいろいろ見えてきて、すごい、わ、こっちもこんな細かいことやってたんや〜と、どんどん見えてきて、、、最後、何度も観たお芝居なのに、おそらくいつも通りに演じられていたのに、わたしは、これまでで一番泣いたかも知らないと言うくらい、泣いていました。

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「広い視点」から見ると、役人とうどん屋の親爺さんが罪人を見逃そうとする「情け」に対し、じゃあ被害者の気持ちの方はどうなのかと、葛藤に苛まれてしまうのですね。もちろんそういう視点は大事なのですが、それによって見えなくなってしまうものが、こんなにたくさんあったのです。 

 

毎日見ているからこそ見える

キメ、山あげ、所作の数々。役者の切磋琢磨の賜物。

身体から身体へ、伝えられた記憶の再生。

「もしかしてこのシーンだけやりたくてこのお芝居やっている?」みたいに思うものも。

でも、それくらいが面白い。潔いほど面白い。毎日の生の舞台だから、日々の悲喜こもごもが混じる。それらがにじみ絵のように重なった芸のディテールは、毎日観ているからこそ出会えるものなのでは…と思ったんです。

 同じ劇場、同じ劇団の公演に、毎日客席に座っている方がある。正直、飽きないのかな…と思っていました。でも、ようやく理解できました。最高に贅沢な見方。じっくりドーンと構えて、ようやく見えてくる景色。わたしのようなお外題を選り好みしてさもしく右往左往している人間には、到底見ることのできない景色が、見えているのだと思います。

 

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たとえ素人であろうとも

「広い視野から物事を言う」ことは、上から目線の、ちょっと偉そうな視点も、きっと入ってしまっている。現代人が過去の事を、狭く未開の世界だと考えるのは、大なり小なりあると思う。

そういうのをガバっと外し、それこそ「身体で見る」くらい肉薄して、芸のディテールを、たとえ素人であろうと目を凝らせば、きっと見えてくるものがあって、、、そういう見方は、飽きることがないどころか、終わりなき幸せの境地ではないだろうか。

考えて、一人でニヤ〜っとしてしまいました。こら楽しい、ますますハマりそうということです、はい。。。

 

先ほどの引用文中の天野祐吉さんのブログには、以下のようにも書かれてありました:

歌舞伎や文楽の観客のなかには、見巧者がたくさんいて、「よっ、待ってました!」とか、「日本一!」とか、「引っ込め、大根!」とか、応援や批判のやじを飛ばして、舞台の質を支えていたんです。そう、舞台というのは、役者や芸人がつくるもんじゃない、観客がつくるんですね。…

「見巧者」と言われる人もまた、舞台の役者や芸人によって育て鍛えられる関係だったのではなかろうかと、思ったのでした。

 

 

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